1、オーディオの趣味

4)オーディオ回顧録 《簡略版》
〈1、はじめに〉
 月日の経つのは早いもので、私がオーディオの趣味に目覚めてから早いもので半世紀が過ぎ、音楽に興味を持ったのも同じ頃だと思います。歌謡曲に始まってクラッシックまで一通り聴いてきましたが、クラシックを聞く割合が多くなって来ました。 此処では『オーディオ回顧録』として、私が仕事として関わったオーディオの話、音楽鑑賞の話、オーディオ工作の話に就いて、忘備録的に取り上げています。内容に関しては、『問わず語り』的な私の独断と偏見に満ち溢れているかも知れません。亦、古い事柄などは大分忘れて来ていますので、記憶間違いや記憶の落ちが有るかも知れません。

 普段は音楽を楽しむ事にしています。一日中音楽を聴いている日もあり、本や雑誌を読みながらの音楽鑑賞が多くなりました。アンプの試聴テストをする時は別で、生録してきた音源や素性の判ったドライ音源を使用してアンプの持つ音色の違いを聞き比べています。
 
 私達の育った時代は高度経済成長の真っ直中で全ての分野が右肩上がりで発展してオーディオが花形産業と呼ばれていた頃で、『ピュアオーディオ』とでも云うのでしょうか『データ競争』ばかり繰り広げていました。此の競争に疲弊感を持ってきたのかその内に下火になってきて、其の後好況不況の波を繰り返し乍ら斜陽の道を転げ落ちて、最近では久しく不況業種になってしまいました。
 しかし、人間の五感の一つである聴覚に関わるオーディオは今後とも重要な産業技術として発展して行き、立体音像技術やフォルマント合成技術、オーディオデータ圧縮技術は映像技術と組み合わされてヴァーチャルリアリティとして産業全般に重要になって行く事でしょう。

〈2、青少年時代〉
 クラシック音楽を意識して聴く様になったのは中学生の時からだったと思います。音楽の授業でクラシックの名曲は沢山聴いていた筈ですが、何故かスッペの『軽騎兵』以外は殆ど印象に有りません。
 高校生になると学校が冬休みの時には年上の従兄弟に大阪まで車で連れて行って貰って、コーラルの8CX501等のユニットを買って来てスピーカを自作していました。
 学生時代はオーケストラ等の大編成物を大音量で聴くのが好きでしたが、スピーカから大音量を出せる様な居住環境では無かったので普段は主にヘッドフォンでの試聴です。オーディオ系のサークルに所属していましたので年に数回やっていた大学の学生交響楽団の公演の時は生録をさせて貰っていました。サークルの名前は『音響工学研究会』と硬い名前でしたが、アンプやスピーカを作るだけでなくレコードコンサート等もよくやっていて、大きなイベントとして『ウッドストックコンサート』の上映会や『五輪真弓コンサート』をやった事が有りました。『ウッドストックコンサート』の上映会では最初はチケットが全然売れなくて心配していましたが、結局のべ1万人以上のお客さんが集まり大盛況でした。
  JAZZ喫茶にもよく行っていましてた。数年前の秋に東山の永観堂へ紅葉狩りに行った時、一寸立ち寄ったのですが未だちゃんと有りました。お店の雰囲気はずいぶん変わって居ましたが、、。

〈3、社会人時代1〉
 学校を卒業して大阪のオーディオメーカーに勤める事になりましたが、此処では技研部に配属されてオーディオアンプの設計をやっていました。最初に担当したプリメインアンプが『ラジオ技術』誌が主催していたコンポグランプリで銅賞を受賞して大変嬉しかった事を覚えています。在籍期間は三年若でしたが良い勉強をさせて貰ったと思っています。
 当時よく聴いていたLPレコードにカールリヒター指揮、ミュンヘンバッハゾリステンのブランデンブルグ協奏曲が有りましたが、カールリヒターと云えばこの頃、大阪の玉造教会でのオルガンリサイタルを聴いた事が有ります。通路にまで椅子を並べて沢山の聴衆を詰め込んだ為にオルガンの響きが貧弱で演奏が終わる度にお客さんからブーイングが出る始末でした。カールリヒターも少々困惑気味でしたが、御陰で予定時間をオーバーして余分にアンコール曲の演奏が聴けました。それから40年近くの時が経ちましたが今でも相も変わらずのバッハファンです。

〈4、社会人時代2〉
 その後転職し、東海地方の楽器メーカーに勤める様になった関係で生演奏を聴く機会が増えました。三十代半ばからピアノトリオ、弦楽四重奏やリート等の小品ををよく聴く様になって来ました。之はCDや新しい演奏家の登場による物だと思います。この頃から、ベートーベン、ブラームスやシューベルトの弦楽四重奏曲やリート曲をよく聴く様になりました。
 楽器メーカーでは研究部門で、当初は高効率アンプの研究を、その後イコライザやエフェクタ等のアナログ回路の研究に従事していました。今にして思えばこの時代に回路技術の基礎を学んだ様に思います。当時は余り面白くない地味な仕事で多少の不満も有りましたが、後年スイッチングアンプやデジタルオーディオ機器の開発に関わるようになって、この時代に得たスキルが役立つ事になり『人生に無駄は無い』とつくづく思ったものです。CDプレーヤのD/A、アナログ部の開発に関わったのもこの頃の話です。

〈5、社会人時代3〉
 その後、プロオーディオ事業部に移ってPA用パワーアンプやミキサーの設計に携わる様になり、強制冷却方式のパワーアンプやスイッチング電源搭載ハイパワーアンプ、パワードミキサー等を手掛けました。

〈6、社会人時代4〉
 その後、再び研究部門に呼び戻されてデジタルオーディオ機器の開発に関わる事になり退職する迄、A/D、D/A変換器の性能の改良、高速1ビット方式(後のSACD)の研究開発をやっていました。当時、デジタルオーディオ機器のボトルネックはADC、DACの性能で、S/N、ダイナミックレンジ(DR)が取れないためにデジタル機器本来の性能が出ないと云う事が問題になり始めていました。この頃私もADC、DACの開発に携わっていました。我々の開発目標はプロ用デジタルオーディオ機器として充分実用になる、S/N、DRが100dBを超えるオーディオ用ADCを作ろうという事でした。

 結果として得られた性能はS/N、DR=110dBと充分満足のいく、当時としては世界最高性能のオーディオ用ADCを作る事が出来ました。2CHと8CHのADコンバータユニットが製品化されました。

 私達の新しく開発したADコンバータは既存のADコンバータよりS/N、DRを20dB(10倍)以上も改善した世界最高の性能を誇った自信作だったのですが、当初は全く評価されませんでした。国内はさっぱりでしたが、海外での評価は国内での其れとは全く違った事になり、非常に高い評価を戴きました。
 ヨーロッパでは発表して直ぐに先ず、ドイツグラモフォン(DGG)が大口採用してくれ、米国ではシェフィールド、ドンプ、他の録音スタジオで採用され、イギリスではEMI、BBC等、個人の音響関係者では、トニー・フォークナー氏、アラン・パーソンズ氏、AESのシニアフェローのドグ・サックス氏、等からも高い評価を戴きました。

 さて、左のジャケット写真のCDは東西冷戦の象徴であるベルリンの壁が崩壊した事を記念する歴史的CDです。1989年12月25日に東ベルリンのSchauspielhausでのレナード・バーンスタインの指揮でバイエルン、ドレスデン、レニングラード、ロンドン、ニューヨーク、パリの合同オーケストラがベートーベンの『第9』を演奏した記念公演のライブ録音CDです。ジャケットの表紙写真にはブランデンブルグ門に集まった歓喜に酔う群衆のの姿が写し込まれています。此のCDにはもう一つ記念すべき事があり、私の取っては此方が重要で、私達の作ったA/D変換器が初めてプロの録音に使用された記念すべきCDでも有ります。1990年のXmasプレゼントにドイツグラモフォン(DG)から送られて来ました。
 以下続く。


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